今日は授業参観だった。友達と一緒に下校している息子
を自転車で追い越すと、ユータ、ユータ!と、あちらこち
らから息子を呼ぶ声が聞こえてきて、何だか嬉しくなった。
思えば、息子のクラスは皆、仲良しでまとまっている。だ
から多人数で遊ぶことも多い。先生のおかげだな、と思う。
良い先生はクラスをまとめる。
いつも、5、6年の先生の話しに偏ってしまうが、3年
の時、トラブルがあって、途中、長いこと教頭先生に受け
持ってもらったことがあった。その時、子供ながらに、
(さすが!教頭先生!)と思ったものだ。クラスはよく
まとまり、毎日楽しく、もしかして、あれが私の初恋だっ
たのでは?と思うくらい、私は教頭先生が大好きだった。
3年になってクラス替えがあってすぐに担任になった先
生は女の先生で、声の小さい痩せた先生だった。腰まで伸
びた真っ黒な髪を後ろでいつも結んでいて、何を言ってい
るのかよくわからないことも多かった。
私は春休みの終わりに風疹に罹ったので、新学期早々に
お休みし、そのせいで新しいクラスは不安とともにスター
トし、新しい教科書もなかなか来なくて、長いこと隣の友
達に教科書を見せてもらっていたが、それに何の不思議も
感じていなかった。
当時の友達によると、先生は、何回も何回も、教科書の
同じ部分を繰り返し子供たちに読ませていたという。しか
し、それよりも有名だったのは、帰りの会で、必ず、当時
流行中だった「およげ、たいやきくん」を全員に歌わせる
のだった。しかも、カーテンを全部閉めて教室を真っ暗に
して。しかし、子供だった私は、それをおかしいとも思っ
ていなかったし、クラスの同級生たちも、皆で喜んで歌っ
ていたのだ。
しばらくして、先生は学校に来なくなる。代わりに教頭
先生が授業をするようになった。今でも覚えているが、教
頭先生が一番最初にやってきた日、先生は、
「掃除をしよう。皆で教室をピカピカにしよう!」
と言って、掃除当番だけでなく、クラス全員で掃除をし、
普段はかけないワックスまでかけ、その後、机を後ろに下
げたまま、クラス全員で教頭先生を囲んで床に直接、座り、
「床がこんなにキレイになった!」
と喜び合った。先生は冗談で、
「なめてもいいくらい、キレイだぞ!」
と私たちを褒めてくれた。クラス替え早々、病気の先生
に受け持たれて暗い雰囲気だった子供たちを励まそうと
一生懸命だったのかもしれない。
後で、学校に来なくなった先生が精神的な病気だった
こと、沖縄の実家で入院したこと、などを、何と新聞で
知った。新聞には、「およげ、たいやきくん」のことが
ひどく大きな問題のように書かれていて、私たちは楽し
く歌っているところもあったので、ちょっと不思議な気
がしたものだ。
教頭先生が来てから、クラスは活気を取り戻し、みる
みる団結し、放課後は男子も女子も一緒に遊ぶようにな
った。近所の公園で毎日、ドッヂボール。ただし、5時
まで。というのは、当時、誰もが好きだったアニメ、
「エースをねらえ!」の再放送が5時半からで、男子ま
でもが、
「エースをねらえ!の時間だから帰る!」
と帰ってしまうのだった。毎日、毎日、私たちは公園で
ドッヂボールをしていた。
そして、あれは、三学期だったのだろうか。新任の女
の先生がやってきた。私にとっては可も無く不可も無い
普通の先生だったが、(どうせなら最後まで教頭先生
にもってほしかった。)と思ったものだ。ついこの前ま
では自分の教室の前で授業をして、体育で一緒に走り回
って、一緒に笑ってくれる、私たちのクラスの先生だっ
たのに、今は朝礼台の横で真面目な顔をして立っている、
皆の教頭先生になたてしまった。それが私は寂しかった。
さて、後日談だが、その新任の女の先生は、私の妹が
6年の時に担任になった。担任になった途端、前任者で
ある、5年の時の先生の悪口を言って、生徒たちから、
総すかんとなり、学級崩壊。妹たちは授業を妨害し、
「出て行きなさい」
と言われれば、全員で校庭に出て行って遊び、中には、
授業中だというのに喫茶店でお茶をしていた女子もいた
という・・・当時は学級崩壊なんて言葉はなかったけれ
ど、妹のクラスはその走りだったのね。
だから、というわけではないが、彼女の印象は私には
薄い。子供にとって印象の薄い先生とは、もしかしたら
あまり良い先生とは言えないのかもしれない。良い先生
は印象的で、思い出が多く、クラスはまとまる。
息子の担任の先生が良い先生で本当に良かったな、と
感謝している。
マスコミは一時期だけ騒いで、あとは、まるで問題が
なくなったかのように沈黙するが、ちょっと前、
「地震の義援金の配布が出来ていない」
という問題があった。何でも、手続きを行う役所自体が
被災しているとか、そのため、被災者の人数が把握でき
ない、とか、公平に配る算段が出来ない、とか、何とか
様々な理由が挙げられていた気がするが、あれはどうな
ったんだろう。
なんて言いながら、私もすっかりそのことは忘れてい
た。被災者以外の人々にとって、震災が過去のものにな
りつつある。原発の状況が時々アップデートされるが、
何だかもう慣れてしまって、また、東電の発表も信用で
きないこともあって、危険な状況の割りには新鮮味が無
い。ちなみに、原発、「冷温停止」の意味がわからない。
メルトダウンして「冷温停止」って何だ?定義をしっか
り教えてください、という感じだ。停止なら地震当日に
したではないか。
話しがそれたが、ちょっと前、NHKで、被災地の港
で船を手に入れるのに奮闘しているわかめ養殖者たちの
ことを報道していた。復興にはとにかく仕事だ。全てを
失ったが船さえあれば、わかめを育てられる。仕事が出
来る。仕事が出来れば収入が得られるし、復興の足がか
りが出来るというものだ。
ところが、船が無い。船を買うお金も無い。ネットで
中古の船を探すが、そういうニーズを知っているのか、
ほとんどの船がバイヤーにおさえられており、購入が難
しい。
「船さえあれば。一艘でいい。ボロでもいい。」
との一念で、やっと一艘見つけたが、300万円もして
手が出ない。
ここで、私は、義援金のことを思い出したのである。
こういうのこそ義援金から出すべきではないか?集まっ
た義援金の金額から見れば300万は小さい金だ。あの
お金は個人にばらまかれてしまったのかしら?あるいは、
国の予算からでもいい。中国のODAなんかに出すより
は、船を買え、船を!
で、結局、彼らは海外のNPO法人に泣きついてお金
を借りた。船が手に入れられて、仕事を始められて、良
かった!という結末にはホッとしたけれど、国内でお金
を何とか出来なかったことが情けない。
義援金と、ちょっとした国の予算を使えば、個人に数
万円配ったとしても、各港に、船を一艘や二艘買うのは
そんなに難しいことではないのではないか?
津波に合った村のほとんどは漁港だ。1人1人に公平
に分配とか言わず、その村に一艘でも船を買ってやって
共有して仕事が出来る足掛かりにすればいいのでは、と
感じる。村によってはトラックの方が良いのかもしれな
いが、仕事の種になるようなものを贈ってあげることが
長い目で見たときに一番の支援になると思うのだ。
数万円のお金はすぐに消える。稼げる仕事で使える機
材は数年間は使えるし、仕事でお金が入れば、機材を増
やせる。何より、働くことで、人は活気づき、元気が出
る。
あの義援金はどうなったんだろう・・・消費税が上が
ったら、各漁港は船を買ってもらえるのだろうか。可能
性は限りなく0に近い気がして悲しい・・・
毎日、「昼休みに誰と遊んだの?」と息子にきいている。
今日は
「新聞を作らないといけないから遊ばなかった」
と言う息子。彼は新聞係なのだ。何でも、昼休み中の時間
をかけて、彼いわく、「やばい話し」を書いたそうだ。ハ
ナクソとか爆弾とか、汚いものや危ないものがたくさん出
てくるお話だそうで、今週、授業参観をひかえた母は頭が
痛い。
息子は続ける。
「明日も新聞作るんだ。ヒロヤの分が書けてないから手伝
わなくちゃ。」
ヒロヤ君はひどいアレルギーで体が弱く、夏も長袖、給食
はお弁当。それが原因なのかどうかわからないが、友達付
き合いも上手ではない。うちの子は学童も含めて、クラス
のほぼ全男子と放課後や土日に遊んだことがあるが、ヒロ
ヤ君は、一度も遊んだことがない唯一のクラスメートであ
る。
よく一緒の班になるのだが、給食の時など、何もしてい
ないのに、
「オレは仲間はずれだから」
と言って、自分から机を離してしまうのだと言う。そんな彼
を女子は、「気持ち悪い」「うざい」と嫌がっており、隣に
なると、露骨に嫌な顔をする女子も少なくない。
「あまり無理矢理、自分の意見を押し付けないで、ヒロヤ君
の希望をききながら手伝いなさいよ。」と言うと、
「もちろんだよ。」と言って、息子は出て行った。
ヒロヤ君みたいな、と言っては悪いが、昔は、クラスに一
人、必ず、「困った君」がいたものだ。5年の時、我がクラス
にも、村田君という、学年でも有名な「困った君」がいた。当
時はお風呂のついていない公団やアパートが多く、彼の家も風
呂がないのか、いつもひどい悪臭を放っていた。ハミガキもし
ていないから歯が抜けてしまって、残っている歯も黄色くて、
髪もぼさぼさで爪も伸びっぱなし。ぎょうちゅう検査も毎回、
ひっかかる。そんなだから、忘れものも多くて勉強も遅れてい
て、しょっちゅう、他の男子にちょっかいを出されて泣いてい
た。また、そういうのに限って運動神経も鈍かったりする。彼
の母親は保険外交員で、昼間はいないし、毎日、深夜のタクシ
ー帰りだったから、ご飯も十分でなかったのかもしれない。
で、ある時、そんな彼と私は一緒の班になった。もちろん、
嫌だった。当時は何かと班で何かを作ったり、漢字テストの
得点を班どうしで競ったり、しかし、彼一人が出来ないせいで
いつも、うちの班はビリだったのだ。おかげで、いつのまにか
「ボロ班」と他の班から呼ばれるようになり、さんざんバカに
され、憂鬱な毎日だった。先生に何とかしてほしかったが、今
思えば、先生はわざと、私たちのために、彼に班やクラスの一
員として頑張ってもらうために、放っておいたのだと思う。
班の女子メンバーは割としっかり者が多く、特に、班長の早
紀ちゃんは、常に学級委員長をつとめるくらいのリーダーだっ
たので、早速、「土日に班で勉強しよう」と提案してくれた。
毎週行われる漢字テストの猛勉強が始まった。土日になると、
誰かの家に集まり、村田君を囲み、漢字の特訓。途中、お昼を
食べて、また特訓。(村田君以外の男子はふざけて遊んでいた
気がするけれど)正直、私も退屈で辛かったけれど、とにかく
ボロ班返上のために皆で頑張った。
そして、見事、次の週の漢字テストで村田君も満点をとり、
私たちはボロ班を返上、先生に大いに評価されたのだった。
一生、忘れられない思い出。あの村田君がちゃんと頑張って、
ちゃんと満点をとってくれた。当時の私にとっては、ありえ
ない、信じられない奇跡が起きたのである。
こういう体験は何事にも変えられない。また、小学校でしか
体験出来ないことだ。息子も、誰かを手伝ったり、誰かに手伝
ってもらったりしながら、時にはトラブルもあるだろうが、今
しか体験できない協力関係を築いてほしいと思う。
クレーマーが騒いでから早くも9カ月経ち、新学期の
最初は、正規の登校班で全員一緒に登校しないといけな
いので、元の班で大人数で登校している。もちろん、ク
レーマーの息子も一緒である。それはいいのだが、うち
の子は、
「人数が多すぎて、友達と喋れない雰囲気が嫌だ。遊べ
ないのも嫌だ。前の班のがいい。」
とブツブツ言っている。
息子と友達と2人で、クレーマーの子に何回か蹴りを
入れたことがあり(息子には息子なりの理由があったの
だが)、「班を分けてほしい」という、あちらの希望で
2つの班に分かれて、その時は、息子が状況を把握した
途端、オイオイ泣いて、
「オレは謝ったし、あいつは許してくれたのに、どうし
て班を分けるんだよ!大人が決めるなんておかしい!」
と抗議していたのだが、今は、
「少人数で、友達と一年生とお兄ちゃんたちと行くのが
いい。今の班だと、妙に、しーん、としていて話せる雰
囲気じゃない。」
と言って元の班に戻るのを嫌がっている。同じこととい
えば、
「大人が勝手に決めるのが嫌なんだよ!」
という抗議。なるほど。それはそうかもしれない。でも
登校班は学校の決まりだ。が、クレーマーの希望で、班
があれこれ変更になるのはおかしい、と思う。しかし、
それも、一応、こっちが悪いのだから、おかしい、とは
言えないのだ。
それにしても、子供というのは、忘れやすいというか、
適応力がある、というか、単純というか、最初は、嫌だ
といっていても、慣れると大丈夫になるものだな、と思
う。たぶん、元の班でも登校を続ければ慣れていくだろ
う、とは思うのだが、幸か不幸か、班長さんによると、
「来週からは、また、班を2つに分けます」
ということだ。ちょっとホッとした。
そういえば、クレーマーから電話があった時、
「うちは登校の時に、遊ぶのは嫌だ、って言ってます。」
と言っていた。遊びに無理矢理誘われたり、遊びでトラ
ブルがあると喧嘩になったりするのが耐えられない、と
言う。(そんなことは子供どうし、登校班でなくても、
あるでしょう)と思いながら私が黙っていると、息子は、
「嫌なら、嫌だ、って本人が言えば?」
と冷めたコメント。私が言ってはいけないが面白い。
今の班は、真面目な子が多いから誰もしゃべらないの
かな?遊ばないのかな?それは正しく良いことだ。息子
はそれが息苦しい。来週からは、また、リラックスして、
仲良しメンバーで和気あいあい、時には喧嘩もしながら、
仲良く登校出来るといいな、と思っている。
新学期が始まったら、受験に備えて本格的な塾に通う
子が増えた。おとなしい、付き合いやすい子供たちにそ
ういう傾向があり、やんちゃな仲間と遊んで泣かされて、
疲れると、そちらの、「おとなしいメンバー」と遊んで
いた息子は逃げ場がなくなった。
昨日、クラスのリーダー、ケイタに、
「お前は遊びに来るな」
と拒否され、同じクラスの別の友達を誘ったら、
「今日は塾」
と断られ、落ち込んで帰ってきた息子が、突然、
「イクヤと遊びたい」
と言いだした。保育園時代の友達で、今は隣のクラス
である。イクヤは普段は学童だが、今年度はママが育
児休暇なので放課後遊ぶことが出来るのだ。
早速、イクヤ君のママにメールすると、
「同じクラスの子と約束しているけれど、良かったら
一緒にどうぞ、と言ってるよ。」
と言ってくれた。
最初は、「家でゲームしないと嫌だ」とごねていた
息子だが、私が背中をちょっと押してやると、しぶし
ぶ、イクヤ君のところへ出かけて行った。
結局、隣のクラスの友達4人と、公園でドッヂボー
ルをして遊んだそうだ。行く時は不機嫌だったのに、
帰ってきたら笑顔になっていた。4人の中の誰かが
4月から同じクラスになるかもしれないし、良かっ
たね、と思っていたら、
「イクヤが明日は2人で家で遊びたい、って!」
と言う。
保育園時代からの仲良しだし、お互い、何も気遣
わず、ゆるりと出来るのかな、と、面白く感じたの
だった。
半年くらい前、息子が一方的にクレームを言われた時に、
ひそかに学校に相談に行った。その時に、私が、クレーム
を言った家の息子さんのことを、
「確かに、あちらのお子さんはとても良い子です。」
と評した時に、先生が、
「私たちは、悪い子、良い子という言い方はせずに、どの子
にも良いところ、悪いところがある、という言い方をします。」
と話してくれた。
その時は、(は~あ、さすが教師。うまいことを言うものだ)
と感心したのだが、最近、子供の友達関係が広く複雑になる
につれ、つくづくそう思う。
うちの子は友達が多いので、何かと嫌な思いをすることも
多い。もちろん、嫌な思いをさせていることもあるんだろうな、
と思う。しかし、大体、嫌な思いをさせられる友達は決まって
いて、ケイタもしくはユウスケである。ケイタは仕切りやで短
気、気に入らないことがあれば徹底的に攻撃するし、大きい
だけに腕力にものを言わせて従わない友達を強迫したりす
る。一方、ユウスケはクラスで一番小さい割に気が強く、思
うようにならないと徹底的に蹴りで対抗し、行動が荒っぽい
ので悪気がなくても、相手にとっては暴力になってしまうこ
とがある。2人とも兄がいて負けず嫌い。友達を下に従え、
命令するタイプ。勉強も出来るし、スポーツも万能。互いに
一目おきながら、
「絶対に一緒に遊びたくない」
と言う間柄である。
ユウスケにはお母さんがおらず、学童で一番暴れん坊なの
で、ケイタよりも風当たりが強く、クレームが色々入るらしい。
私自身も、息子がユウスケと土曜日に2人きりで遊んだりす
ると心配してしまうのだが、息子は多少嫌なことをされても、
ユウスケの面白さや男気が好きなようだ。
そんな息子は、普段はケイタと一番の仲良しなのだが、こ
こ2週間、
「ケイタは仲間はずれにしたり、いじめたりするから嫌い」
と言って、彼と距離をおいていた。他のクラスの友だちと遊
んだり、ケイタがお稽古の日に同じクラスの友達と遊んだり、
といった具合だ。
確かにケイタの意地悪はきついし、ずるいところがあるの
だが、何となく、私から見ると、ケイタは息子に甘えていて、
ある意味、信頼していて、息子をいじめることがあるように
も見える。泣いている息子と一緒に私も悲しい思いをしな
がらも、何となく、ケイタのことを憎めないでいるのだ。
そのケイタ、息子が距離をおいているのに気付いたのか、
先週、たった一人で家に遊びに来た。お稽古があるから、
ほんの1時間だけゲームをして帰って行った。何だか寂し
げで、息子の言うことをよくきき、「じゃあな」と帰って行った。
今日も、息子の学校帰りに家までついてきて、
「遊ぼうぜ」
と言うので、息子は困っていたが、(やっぱりケイタ君は、う
ちの子のことを気にかけているんだな)と面白く思う。そうい
えば、息子が他の子に攻撃されると、ケイタはかばって一
緒に戦ってくれる、そんな頼もしいところもある。
そのケイタのライバルのユウスケは、学童だから、普段、
あまり目にする機会がないのだが、先日、「お互いに友達
の良いところを書こう」という授業の時にくれたカードに、
一番長い文章を書いてくれた。さらに、
「これからも、より、がんばってね。」
と励ましの言葉も書いてあった。息子も私も嬉しかった。
息子がケイタに意地悪をされると、
「ケイタは卑怯だぞ!」
と、ユウスケが息子の肩をもってくれることもある。
まだ小2だ。関係が悪い時もあれば良い時もある。けれ
ど、それが尾を引くことは滅多にないし、どの子も、悪い
人間ではない。何もかもこれからだ。なかなか難しいけれ
ど、ドキドキしながらも大らかに見守っていけるといいな、
と、思う。
今日から子供が習字を習う。先生とお互いに顔がわからない
のでは、道ですれ違っても挨拶が出来ないなあ、と思って、よ
ろしくお願いします、の挨拶をしに行くことにした。しかし、手ぶら
で「よろしく」も変か、と思って、我が家御用達のお煎餅を持って
いくことに。
お稽古が始まる前の昼過ぎくらいにうかがうと、ちょうど、うち
の母と同じくらいの年齢のおばさん、いや、おばあさんが出てき
て、
「しっかりしたお子さんですよ。本当に。」
と褒めてくれた。先日、息子が一度体験でお邪魔した際に、私
のことを、
「僕が保育園の時は仕事をしてたんだけど、会社がつぶれそ
うになって辞めさせられて、今はお家で仕事をしてるんだ」
と、余分なことをベラベラ喋ったらしい。私は恥ずかしかった
けれど、それを大層気に入ってくれたようだ。
私が仕事を辞め「させられた」ことを気にかけてくれているの
か、習字の先生は、
「お家で仕事をしているのはとても良いことじゃないですか。お
金の問題でなく、働いている姿をお子さんに見せるのは良い
ことですよ。それに、家にお母さんがいることは、子供は嬉し
いに違いありませんよ。」
と励まして(?)くれた。さらに、
「働いていることで悪いことは1つもありません。」
と始まって、ちょっと家族の話しにもなって、私はずいぶん、
励まされた。
初対面の目上の人に、こんな風に言ってもらえるのはあり
がたいことだ。失業して落ち込んだこともあったけれど、何と
いうか、こういう形、こういう時期もありなんだ、と思える。子
供の近くにいながら、わずかでも収入を得られるのは恵まれ
ている、それも、ありがたい、と、素直に思えた一瞬だった。
冬になると特に神経がピリピリして病が辛くなる。といっても、
勝手に不安になる病なので、リラックスすればいいわけで、し
かし、元々、せっかちというか短気というか、ゆっくりのんびり
出来ない性格で、ピリピリは続くばかり。
それでも、今日は、(電車に乗るぞ!)と決心し、実家方面へ
の準急に飛び乗った。この準急、途中15分くらい停車しない
区間があり、前は怖くてとても乗れなかったのだが、最近は訓
練の成果で何とか乗れる。
そして、帰り、何の不安も緊張もなく、座席でうとうとしていた
ら、ある駅を通過したところで、
「キンキュウテイシャシマス、キンキュウテイシャシマス。ゴチュ
ウイクダサイ」
という自動アナウンス。お?!何か緊急事態か?!と身を固く
していたら、急停車というよりは、減速に減速を重ね、かなりの
距離を進んだところでぴたりと止まった。止まった後は、ぷー、
ぷー、ぷー、、、という、静かな冷たいアラーム音。
「ただいま、踏切への侵入が認められたため、安全確認を
行うために緊急停車いたしました。今、しばらくお待ちください。」
と今度は、車掌さんの生アナウンス。自動とは違う、心のこもっ
た(?)アナウンスに少し安堵。
でも、病持ちの私は、心臓ばくばく、呼吸は浅くなるし、あー、
また発作がーー、と恐怖心でいっぱい。さらに、頼りの車掌さ
んは、扉を開けて線路に出てしまうし。
しかし、結局、何事もなく、5分程度の停車で電車は再出発
した。はーあ、辛かった~。
それにしても、これがATSかと、ちょっと感動したところもあ
る。感動といっても、別に、その素晴らしさとか優秀さに感動
したわけではない。いつも、(車掌さんがいるのに、それとは
別に自動アナウンスで停車駅の案内がされているのは何故
だろう。)と思っていた。正常時の自動アナウンスもシステム
の一環だったんだ、という感動。さらに、ATSで停車するま
での距離が意外と長い、という感動(?)。システム導入前
に、運転手さんんが急停止するよりも、ずっと穏やかな減
速、停車までの長い長い制動距離。
つまり、踏切の場合は、踏切内にセンサがあって、その前
後、かなり長い距離にわたって、走っている電車に自動的に
停止命令がいくようになっているのだろう。距離が長いから、
急停止というよりは、減速による軟停止だ。
そのうち、センサが全線に設置されて、人身事故も防げる
ようになるのか?しかし、そこまで感度を上げると、意味の
ない緊急停止が増える気もするし・・・センサで人の侵入を
検知するところまではOK。しかし、停止の制御は運転手
さんでも良いような・・・と思った、のんびりATSでした。
朝っぱらから電話が鳴る。こういう電話は、概ね、一緒にクレーム
に悩まされたママなのだ。(また事件か!)と飛び上がって、テレビ
の音量を消して受話器をとると、やっぱり、そうだった。
「どうしたの?!」
ときくと、昨日の保護者会でのクレーマーとのやりとりについて報告
というか愚痴というか、ちょっと話したかったようだった。へーえ、ふ
ーん、とうなずいていたら、だんだん、あちらも興奮してきて、
「そうだ、帰りにひどい目に合ったのよ!」と言う。その内容が、本人
が辛かっただろう、と思えば思うほど、なぜか面白くて、私は爆笑し
てしまった。
昨日、保護者会が終わる頃は冷たい雨。しかし、彼女は自転車だ
った。保護者会が始まる頃は曇っていたので、半数くらいの人は自
転車で来ていたのだ。子供を乗せてさっさと帰ろうと思ったら、子供
が、よりによってクレーマーの子と一緒に遊んでいた。仕方がない
のでクレーマー親子と4人で一緒に帰ってきたのだという。そして、
そこで、4人の「しりとり」遊びが始まった。それが、悲劇の始まりだ
った、と言う。以下、私たちの会話。
「しりとり自体はいいんだけどさ、あっちの子はこだわるわけよ。た
とえば、『わ』だと、ワニでいいじゃん!って思って、色々ヒント出す
んだけど、『そんなんじゃ嫌だ。もっと違うの言いたいの』と言って
ずーっと考えているわけ。さらに、考えるたびに親子で立ち止まっ
て一緒に考えて、『そうね、わ、は何があるかしら?あれかな?
これかな?』って、2人で立ち止まって長々と考えてるから、私な
んか雨にぬれちゃって、家にはなかなか帰りつかないし。」
「へーえ。」
「で、うちの子が誰かの名前を言うと、『しりとりで名前はなし!』
とか言って、なかなか先に進めなくて、そのくせ、自分は、『と、と
と・・・トイ・ストーリー!』って言うんだけど、それ、映画の名前だ
ろ!って思って苛々しちゃってさー」
「ははははは!それ、面白いじゃん。」
「さらに、それを、ママが、『すごいね。今日はいっぱい色々な言
葉を思いついたね。えらいね。』って褒めながら、また立ち止まる
わけよ・・・」
「見えるようだよ~」
「で、私は左半身、雨でびしょぬれで、病院に行きたかったのに
遅くなっちゃったし。」
「それはご苦労さまでした。わはははは。悪いけれど、とっても
面白い話しだよ~。風邪をひかなくて良かったね。」
別に人の不幸が面白いというレベルではないのだが、何という
か、この程度の苦労は面白い。さらに、本人も半分ウケをねらっ
て話しているのか、あちらの親子の真似がはまっていて、さらに
そこに無情にも降り続ける冷たい雨、雨、雨・・・人の苛々に気
付かない、のんきな和やかクレーマー親子。何だろう、この面白
さは。
チャップリンじゃないけれど、悲劇は喜劇なんだよな~。ってほ
どの大悲劇じゃないけれど、私は大いに笑って、あちらのママも
「笑ってくれて、ありがと。」
と電話を終えたのであった。笑わないとやってられないわね。
今日は保護者会。冷たい雨が降りそうで神経がピリピリして嫌な感じ。
一応、薬を飲んで家を出発。出発したらちょうど雨がぽつぽつ降ってき
たので傘をさして歩いて行くことに。
出て行ったところでクレーマーがちょうど玄関から出てきて、自転車
に手をかけながら、
「歩いて行くの?」
と私に問いかける。
「降ってきたし、私は歩いていくよ。でも、自転車でさーっと走るのも
ありなんじゃないの?」
と言うと、クレーマーは自転車か徒歩かを決められず、おろおろ。そこ
に、同じ登校班の友達のママが自転車で、
「私は雨が降っても、濡れながらさっさと行ってきちゃうわ」
と言いながら走り去って行った。クレーマーは、さらに困惑。
「どうしましょ、どうしましょ。」
と悩んでいる。面倒くさいので、ばいばーい、と手をふってとことこ歩く。
学校が近付くと、子供が時々遊んでいるお友達のママが自転車で
後ろから追い付いてきて、「こんにちは!寒いね~」と言いながら、自
転車を降りて並んで歩く。子供が遊ぶ時に時々話すくらいの人だけれ
ど、自営業で働いているだけあって、さばさばして感じの良い人だ。
保護者会は、冬休みの注意事項が主な内容で、あとは近況や、ちょ
っとしたトラブルについて話しがあった。うちの子は案の定、そのトラ
ブルに関わっていたし、先生にほめられることといえば、
「半そで頑張ってますね!給食も、よくおかわりして、みんなを引っぱ
ってくれています。」
と・・・うちの息子、何だかバカみたい・・・・・
帰りは、門のところで仲良しの友達ママと、「最近、反抗するよね」
と、ちょっぴり子供のことで立ち話。帰り途は、最近、学童をやめて
一緒に遊んでいるお友達のママと一緒に歩いて帰り、最近あった事
件について語り合い、彼女と別れた後は、保護者会を休んだママに
プリントを届けに行ってちょっぴり内容を報告。何だかやっぱり知り
合いが増えてきたなあ、と思う一日。
ママ友というほどの間柄ではないけれど、情報交換は大事よね、
と思った今日だった。