力抜けるわ~

 仕事を辞めて、いや、クビになってから、何が嫌だ、って、
つまらないことをついつい考えてしまうことだ。家事の嫌い
な私は家事をやらずに暇しているものだから、嫌なこと、
特に子供のことで何かあると、意識しないうちに、ぐるぐる
同じことを考えていることがある。
 今日は、いつものように子供が2人の友達を連れてきた。
ダイスケ君とリョウ君である(今さらですが、子供の名前
はいつも仮名です)
 リョウ君は本当は学童なのだが、しょっちゅう学童を抜け
出して行方不明になる子で、しかも学校にもいつも遅刻し
てくる問題児。一緒に遊ばせるのはちょっと心配というの
が正直なところだが、直接話してみると、意外と普通の子
なので様子を見ている。そして、そのリョウ君は最近、ラ
ンドセルを持ったまま家にやってくるのである。これもまた
問題と言われれば問題だが、親と連絡はとれないし、学
童に電話するのも憚られて、他にも同じようなことを経験
しているママと一緒に様子を見ているのだ。
 で、その3人が近所の公園に行った。そこの公園で年上
の兄ちゃん2人にちょっかいを出された。ダイスケ君はお
となしいが、リョウ君はやんちゃ坊主だから思いっきり対
抗する。そして、うちの息子は、自分から何かをやる子で
はない(と思う)が、やられた時には対抗心を燃やして、
結構受けて立つタイプである。
 はたして、兄ちゃん2人と2年生3人の「バーか」「ちび!」
「ブス!」「短足!」「デブ!」などという、くだらない罵倒の
応酬はだんだんとエスカレートし、ついに石の投げ合いに
まで発展!・・・しそうになったところで、たまたま居合わせ
たダイスケ君のママが、
「石はやめなさい」
と注意して喧嘩は終わり、3人は我が家に駆け込んできた。
皆、興奮していて話しの要領を得ないが、まとめると、
最初に兄ちゃんたちが「ブタ!」「ちび!」とからかってきて
言い返しているうちに大喧嘩になったと言う。まったくくだら
ない。ばかばかしい。怪我をしなくて良かったなあ、と思い
ながら笑ってしまうようなトラブルである。
 しかし、問題は・・・たまたま、そこに例のクレーマー親子
がいた、というのである。クレーマーは、我が子に一輪車を
特訓中で、2人で、その公園の広場で一輪車の練習をして
いた。で、一部始終を見ていて、多少は口を出して注意を
したり、内容は知らないが、ダイスケ君のママとも少し話し
をしたそうだ。
 それを聞くと、(また、うちの息子は乱暴だ、とか何とか言
いふらすのではないか)と心配になる。まだ、そんなことを
言われてもいないのに、考えてしまう嫌な気持ち。
 相棒が仕事から帰ってきてすぐに、その不安を話したら、
彼も、
「そんなこと考えても無駄じゃないか。言われるか言われ
ないかわかりゃしないし、こっちの耳に入らないなら、対
処のしようもないだろう。」
と常識的なことを言う。それはわかっている。私だって仕
事をしていれば、そんな細かいことは気にしやしない。自
分のキャリアに一生懸命で、子供がひんしゅくをかおうが、
忘れものをしようが、放置をしていた可能性さえある。実
は今も、他のママと比べれば放置しているほうだし。しか
し、家にいて暇だと、つまらんことを考えてしまうのだ。
 着眼点をちょっと変えようと思って、
「しかし、2年生にもなって、ママが子供にくっついて一輪
車を教えるなんて、一輪車って、そんなに重要かな。」
とクレーマーを皮肉ってみる。相棒は、笑って、
「ジャニーズにでも入れるのかね?」
と意味不明なことを言った。
 は?ジャニーズ?何で一輪車がジャニーズ?光GENJI
はローラースケートだったから、今度は一輪車か?と思っ
て相棒に確認したら、
「ジャニーズも一芸で入れるんじゃないの?」
「・・・・・・」
 笑ってしまった。大いに笑ってしまった。私は一輪車とい
うとサーカスを連想するが、そうか、ジャニーズの一芸か。
それは面白い。
 何だか全てが滑稽に思えて、肩の力が抜けてしまったの
だった。
 
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by akira_dai | 2011-11-30 23:32 | Comments(0)

地道に名誉挽回

 登校班で、「うちの子がユータ君に10回くらい蹴られた」
というクレームが入ってから、早くも半年以上経ち、登校班は
2つに分裂したままである。今は、息子と一緒に蹴ったと言わ
れた友達と一年生と仲良く登校しており、友達のママは、
「また大げさにクレーム言われると嫌だから、正直に言うと、こ
のまま登校班、別々がいい。あそこのママとは関わりあいたく
ない。」
と言う。友達の方は、他にも何件も電話でクレームを言われた
のである。しかも、そこには嘘もあった、ということを学校側から
聞いている。
 班が分かれてからも子供たちは楽しそうで、今日も平和な朝
を迎え、午後はPTAのお手伝いで学校周辺の落ち葉掃除に参
加した。たまたま、よく一緒に遊んでいる一年生のママと会っ
たら、何と、同じ登校班の一年生の女の子のママと仲良しら
しく、少しの間、3人で掃除していた。2人とも下の子がいて、
もうすぐ幼稚園に入園らしい。制服のおフルの話しやら、先生
の話しやらで盛り上がっている。
 気を利かせたのか、いつも遊んでいる男の子の方のママが、
「ユータ君はどこの幼稚園?」
ときくので、「いや、うちは保育園だから。」と答えると、
「保育園出身の子はしっかりしてるよね。ユータ君、しっかりし
ているもん。」
と真剣な顔でほめてくれた。
「いやいや、うちは一人っ子だし早生まれだし弱虫で、一年の
時はよく泣いていたんですよ。」
と否定すると、
「でも、しっかりしてるって。生活がきっちりしてる感じ。自分で
判断してる感じ。」
とますますほめる。
 隣に一緒にいる一年生の女の子のママは、同じ登校班だか
ら、例のクレーム事件を知っている。分裂した別の班にいるか
ら、クレームを鵜呑みにして、うちの子をかなりの乱暴者と思
っている可能性もある。そのママの前で、あんまり、ほめられ
ると、何か、気まずい。かといって、
「あのクレームにはまいりましたよ~。」
と軽く言えるほど仲良しではない。
「幼稚園でもしっかりした子はいますよ。」
と、面白くもない無難な受け答えをする。
 それでも、こうして、うちの子のことをほめてくれる人がいる
のはありがたい。多少、クレームのことが噂になっても、本人
を近くで見てくれているお母さんや先生という味方が少しずつ
増えてくれれば、きっと、クレームのこともだんだん薄れてい
くだろう。とにかく、信頼回復には、本人が善行(って何?)を
積んでいくしかないからして。
 さて、掃除には、たまたま、一緒に登校している、クレーム
を言われた側のママもいた。相変わらず、
「あのクレーマーは気にしすぎ。被害者ぶりすぎ。」
と言う。私もそう思う。しかし、どう考えても、あの事件は、私
たちの子供に良い経験になった。登校班を分けてしまった
せいで、あちらの子供には何ら良い経験とはならなかった
ように思う。そう考えると、登校班のママたちに
「あれは騒ぎすぎでは・・・」
と引かれた上に、何ら子供の成長をさせられなかったクレ
ーマーがちょっと気の毒にも思えて、
「私は来年から、また一緒に通った方が良いと思うよ。多少、
クレームを言われてもね。」
と答えたのだった。でも、またクレームがあれば、班は分か
れちゃうんだけどね。
 
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by akira_dai | 2011-11-29 14:28 | Comments(0)

嬉しい参観日

 今日は学校の作品展示会をかねた授業参観日だった。子供
の出来不出来は関係なく、ちょっと場所が変わると緊張しすぎ
て倒れそうになる私としては、登校日のたびに憂鬱である。し
かも今朝はやたら寒かった。
 が、ここ1カ月続いている毎日のウォーキングの効果があっ
たのか、多少息切れや動悸はあっても、いつもほど不安なく、
久しぶりに気持ち良く最後まで参観することができた。
 今日は息子は大活躍だった。国語では、先生の質問に、誰
もが同じ答えをしていたところ、なかなか他の答えが出ない
ので、先生が何人も指名した後、最後に息子を指名して、し
っかり他とは違う答えを答えられてほめられたし、算数では、
絵を見て問題を作る課題で、多くの同級生が、
「いちごが1つのおさらに4個のっています。おさらは3枚あ
ります。いちごは全部でいくつありますか」
というような掛け算の問題を作る中、一人、もうひとひねりし
た複雑で個性的な問題を作って、
「よく、こんな問題を思いついたね」
とほめられ、
「これと同じ問題を作った人はいますか。これは難しい問題
に見えるけれど、今まで習ったことを全部使えば解ける問
題なんですよ。」
と、先生がノリノリで黒板に息子の問題をはって、私はそれ
こそドキドキしたけれど、嬉しいドキドキだった。
 家では宿題になかなかとりかからないし、せっかくとって
いる通信教育も嫌々やっていて、ちっとも出来なくて、私は
毎日苛々しているのだけれど、少しはほめてあげなくちゃい
けないかな、と反省した。
 が、苦手な体育は、のぼり棒は上まで上れないし、縄跳び
のあや跳びは一回も跳べないし、と、鈍さ満開。まあ、それも、
かわいいか。昨年と比べれば、大分進歩しているようだし、長
い目で見てあげるとしよう。
 楽しくて、ちょっと誇らしげな参観日だった。
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by akira_dai | 2011-11-26 23:05 | Comments(0)

何かおかしくね?

 若者っぽいタイトルにしてみたが、子供が入学してから、周
りの母親たちの必死さ、一生懸命さには驚いた。何しろ、幼稚
園出身の子というのは、既に何かしらお稽古をしていて、特に
スイミングは流行だから、8割の子がどこかしらのスイミング
スクールに所属している。
 それでも、まさか、25m泳げる子はいないだろう、とたかを
くくって、最初の夏休みに、
「1年生で25メートル泳げる子なんて、いたら怖いよね~」
「ないない。それはないだろう」
と旦那と笑っていたら、それがざらにいた。1人や2人ではな
い。もうバタフライまで出来ますなんていうツワモノもいる。入
学当初は水に顔をつけるのもままならなかった我が子に、さ
すがに私は焦った。本来は何事も人と比べたくないのだが、
何となく、同級生のお友達に、(そんなのも出来ないの?)と
言われている雰囲気があって、本人が劣等感にうもれては
いかん、と思ったのである。
 お稽古の経験は皆無で、しかも早生まれ。何でも苦手で
遅れている我が子は特に水泳はかなり苦手なようなので
習うことにしたが、既に他の子は水泳は卒業。つまり、もう
クロールも平泳ぎも25m泳げるからスイミングスクールは
やめて、空いた時間は英会話だ、公文だ、あるいはサッカ
ーやテニス、と、とにかく忙しい。
 「何か、みんな、すごいよね・・・」
と、お稽古をさせていない数少ないのんびりママと一緒に、
励まし合ってみたりする。
 さて、二学期に入って、算数は99に入った。これまた水
泳と同じで、習う前から、既に99まで言える子が多い。そ
りゃそうだ。公文なんかやってたら楽勝だ。うちはドキドキ
しながら、毎日、学校の進捗よりちょっと早いくらいのペー
スで覚えさせていて、何とか、みんなについていけている。
 しかし、ふと思うと、何かがおかしい。本当は、小学校で
習うことは、小学校で初めて先生に習うのが当然で、習っ
た時には出来ないのが当たり前ではないのか?私の時
代は、習った時には授業を理解できない子がたくさんい
たし、私は算数が苦手だったから、99なんかはかなり時
間がかかったけれど、それでも自分が遅れているとは感
じなかった。
 今は、先生が授業で教える頃には、クラスで半分以上
の子が、その内容を理解済み。クロール25mのごとく、
99のごとく、先生が教えていることは退屈なのでは、と
思うような子も1人や2人ではない。これでは先生はやり
にくいだろうなあ、と思う。
 そういえば、中学の時、ちょっと困った男子が、塾で習
った高度な問題をわざと先生に質問して困らせたことが
あった。子供ながらに、
(別に、そういう高度な問題を解ける先生が偉いわけじゃ
ないし。)と嫌な気分になったものだ。
 息子は息子で、
「タツヤってダメなんだよ。99、みんなより遅れているん
だ。全然できないんだよー」
と言う。タツヤくんは、忘れものも多く、ちょっと友達の間
でバカにされているのだ。
「あのね、タツヤくんのお母さんは働いているの。だから、
うちみたいに見てあげられないの。ユータは、ママが保
育園の時みたいに働いていたら自分一人でできるか?」
ときくと、にやにやして、
「無理かも。」
と認めた。前に、タツヤが忘れものが多いという話題の時
も同じように言ってきかせたのだが、とにかく子供というの
は残酷で、互いの弱点をやたら指摘するものだ。
 うちの目下の目標は、『劣等感をもたせない』こと。その
ため、多少他の子よりも出来なくても、他の子に、
「ださい!鈍い!」と言われようと、
「皆は練習をいっぱいしているから出来て当たり前なの。
ユータもうらやましかったらたくさん練習をしなさい。」
と言い聞かせている。そしたら練習をするのではなく、
出来なくても大丈夫!という妙な自信をつけてしまった。
が、今どき、学校で習うことに新鮮さを感じる子が少ない
のか、「ユータ君は意欲がある。(本当か?)」と先生には
好評だ。
 最近の先生は大変だ。明らかに子供たちが修了してい
る単元を新たな気持ちで教えないといけない。中にはうち
の子みたいに、いや、それ以上に、まったく予習無しでの
ぞんで追い付けない子もいる。昔よりも、子供どうしの差
が大きい。何かがおかしい。おかしいけれど、それが現実
なら、その中でうまくやっていくしかあるまい。息子のみな
らず、みんな、がんばってね。
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by akira_dai | 2011-11-14 22:03 | Comments(4)

強弱→サイテン?

 うちの子は読み書きがかなり苦手。算数は出来るが、こんな
に読み書きが出来ないんじゃ、今に算数も落ちてくるぞ、と、
ひそかに心配している。
 それで、毎晩、漢字、ひらがな、カタカナの読み書きに付き合
うのだが、あまりのバカさにこちらは苛々を通り越してへこんで
しまう。
 今日は「強弱」という読みの問題があり、
「つよよわ?」と読む我が子に対して、怒りたい気持ちをおさえ
つつ、(まあ知らないと読めないだろうから)と必死にこらえ、
ヒントを出してやろう、と、優しく(?)話しかけた。
「強い、という字は他にも読み方があるんだよ。例えば、一番
強いこと何ていう?ほら、ゲームとか、イナズマイレブンの技
とかで、一番強い技のこと何とかって言うでしょう。」
「・・・?・・・」
「ユータがいつも言ってるよ。ほら、サイ何とかって。」
「あ、”最強(さいきょう)”だね!」
「じゃあ、”強”という字は他に何と読むのかな?」
「わかった!サイだ!じゃ、これは、”サイヨワ”?」
・・・・お前な~・・・とがっくりきて、
「アホ!これは”最強”のサイじゃなくて、キョウ!」
と言うと、後ろで相棒がげらげら笑っている。笑いごとじゃな
いぞ、と焦る母。
 気を取り直して「弱」の方にいく。
「これは、ヨワイ、って読むけれど、もう1つの読み方は、た
とえば、苦手なこととか、弱いところのことを何というかな?
さっき、漫画で出てきたよね。太郎くんの○○は算数だ、と
か、そんな風に使うよ。」
「あ!弱点(ジャクテン)だね!」
「じゃあ、弱いという字は他に何と読むのかな?」
と期待をこめてきくと、
「そうか!弱いという字はテンと読むんだね!」
ときた。母のがっくり度、MAX。父の爆笑もMAX。
「強いはキョウ!弱いはジャク!だから、これはキョウジャ
クと読むの!」
 こんなことなら最初から、キョウジャクと教えてやれば
良かった。無駄に疲れた夜である。
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by akira_dai | 2011-11-11 23:55 | Comments(0)

先祖に思いを馳せる

 ピリピリしながら薬を飲んで、やはり、大伯父さんの葬儀に
出かけることにした。おそらく、大伯父さんのご子息に会うの
もこれが最後になろう。何しろ親戚としては遠すぎる。
 出かけてみると、心配の発作はほとんどなく、何とか斎場
に到着することが出来た。98歳というご高齢ということもあり、
内輪だけのひっそりした葬儀ではあったが、祖父や父の葬儀
でもおなじみの剣道部OBの姿はちらほらあった。父と同期、
あるいは後輩だから、若くても60代、ほとんどが70代だ。
 少しばかり距離があることもあり、嘆き悲しみというほどの激
しい感情もなく、ただ静かな寂しさだけを感じながら落ち着いて
お焼香をすることが出来た。
 最後に、喪主である長男が故人の履歴を簡単に紹介した。大
正2年に生まれて、大学進学のために上京、その後、満州鉄道
に就職した、という。大学進学時は、祖父の家に居候していたと
いう話しを聞いていたし、祖父は戦前満鉄にいたという話しも聞
いたことがあるから、その履歴を聞いただけで、その頃、一緒に
過ごしていたであろう祖父や、顔を知らない祖母との暮らしを何
となく想像してしまう。故人の学生時代に私の父が産まれて、お
そらく父も可愛がってもらっていたのだろう。
 それから大伯父さんは兵隊にとられている。そうか。祖父は年
がいきすぎて、父の世代は子供すぎて、兵隊になることはなかっ
たけれど、大伯父さんはちょうどそういう年齢だったのか。
 4年の兵役を経てから満鉄に戻ったが、敗戦で命からがら帰
国したそうだ。ちなみに、私の祖父の方は、敗戦前に、曾祖父
から、剣道の指導者として家を継ぐように言われて(実は、曾祖
父が病だ、とだまされて)、満州から引き揚げて東京に戻ってい
る。
 大伯父さんの場合は帰国後、就職活動をするも、敗戦の混乱
でまったく職がなかったという。祖父の場合は、その頃、C級の
戦犯扱いで、刀はすべて米兵に取り上げられ、職にありつける
わけもなく、ひどい貧乏で、飼っている犬まで食った、と、父が
よく話していた。
 さて、その5年後、大伯父さんは、某大学に職を見つけ、やっ
と安定した生活を得たのが、喪主であるご長男誕生の年。齢
38歳であったという。某大学は祖父と縁故の深い大学だから、
その職は祖父が世話をしたのかな、と、かなりの確信をもつ。
祖父は、その後も父の同期や友達の就職先も色々世話をし
ているから、その頃には昔のつてで、大学に戻ることが出来た
のだろう。
 そんな風に、大伯父さんの人生と、父や祖父の人生が活き活
きと交わって、何だか胸の中がいっぱいになった。
 祖父は剣道では著名な師範だったから、葬儀も追悼式も政界
や宮内庁、警察関係からも弔電が届き、盛大でお祭りみたいだ
ったし、父の葬儀もその名残で、剣道部関係の各種団体、祖父
が関わった複数の大学からたくさん花束が届いた。今回の大伯
父さんの場合は事前に断ったそうだけれども、それでも、やはり、
大学関係、剣道部関係の花がたくさん見られ、何だか立派そう
な肩書の方からの弔電もたくさん来ていた。次の世代は皆、今
時のサラリーマンだから、ああ、これで、剣道で身をたて、尊敬
されてきた家系も絶えてしまうのだな、と、寂しく思った。
 祖父も、大伯父さんも、父も、戦争を経て大変な時代を生きた
んだな、と思う。社会の価値観が変わり、それまでの職はなくな
り、どん底から高度経済成長へと向かった時代。そして、そこに
は、私が会ったことのない祖母や、祖父方と祖母方の曾祖父や
曽祖母も確かにいたはずなのだ。遠い親戚といっても、大伯父
さんは、子供時代に、私の実の祖母と一緒に同じ屋根の下で育
った弟で、その青春時代には祖父とも一緒に暮らしたことがある
縁の深い人なのだ。
 そんなことを考えていたら、何だか嬉しいような、ありがたいよ
うな不思議な気持ちになって、「大伯父さん、ありがとう。」と、
自然に思ってしまったのだった。
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by akira_dai | 2011-11-03 23:55 | Comments(0)

AKIRAの日常、考えたこと、など。平凡です。