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先祖に思いを馳せる

 ピリピリしながら薬を飲んで、やはり、大伯父さんの葬儀に
出かけることにした。おそらく、大伯父さんのご子息に会うの
もこれが最後になろう。何しろ親戚としては遠すぎる。
 出かけてみると、心配の発作はほとんどなく、何とか斎場
に到着することが出来た。98歳というご高齢ということもあり、
内輪だけのひっそりした葬儀ではあったが、祖父や父の葬儀
でもおなじみの剣道部OBの姿はちらほらあった。父と同期、
あるいは後輩だから、若くても60代、ほとんどが70代だ。
 少しばかり距離があることもあり、嘆き悲しみというほどの激
しい感情もなく、ただ静かな寂しさだけを感じながら落ち着いて
お焼香をすることが出来た。
 最後に、喪主である長男が故人の履歴を簡単に紹介した。大
正2年に生まれて、大学進学のために上京、その後、満州鉄道
に就職した、という。大学進学時は、祖父の家に居候していたと
いう話しを聞いていたし、祖父は戦前満鉄にいたという話しも聞
いたことがあるから、その履歴を聞いただけで、その頃、一緒に
過ごしていたであろう祖父や、顔を知らない祖母との暮らしを何
となく想像してしまう。故人の学生時代に私の父が産まれて、お
そらく父も可愛がってもらっていたのだろう。
 それから大伯父さんは兵隊にとられている。そうか。祖父は年
がいきすぎて、父の世代は子供すぎて、兵隊になることはなかっ
たけれど、大伯父さんはちょうどそういう年齢だったのか。
 4年の兵役を経てから満鉄に戻ったが、敗戦で命からがら帰
国したそうだ。ちなみに、私の祖父の方は、敗戦前に、曾祖父
から、剣道の指導者として家を継ぐように言われて(実は、曾祖
父が病だ、とだまされて)、満州から引き揚げて東京に戻ってい
る。
 大伯父さんの場合は帰国後、就職活動をするも、敗戦の混乱
でまったく職がなかったという。祖父の場合は、その頃、C級の
戦犯扱いで、刀はすべて米兵に取り上げられ、職にありつける
わけもなく、ひどい貧乏で、飼っている犬まで食った、と、父が
よく話していた。
 さて、その5年後、大伯父さんは、某大学に職を見つけ、やっ
と安定した生活を得たのが、喪主であるご長男誕生の年。齢
38歳であったという。某大学は祖父と縁故の深い大学だから、
その職は祖父が世話をしたのかな、と、かなりの確信をもつ。
祖父は、その後も父の同期や友達の就職先も色々世話をし
ているから、その頃には昔のつてで、大学に戻ることが出来た
のだろう。
 そんな風に、大伯父さんの人生と、父や祖父の人生が活き活
きと交わって、何だか胸の中がいっぱいになった。
 祖父は剣道では著名な師範だったから、葬儀も追悼式も政界
や宮内庁、警察関係からも弔電が届き、盛大でお祭りみたいだ
ったし、父の葬儀もその名残で、剣道部関係の各種団体、祖父
が関わった複数の大学からたくさん花束が届いた。今回の大伯
父さんの場合は事前に断ったそうだけれども、それでも、やはり、
大学関係、剣道部関係の花がたくさん見られ、何だか立派そう
な肩書の方からの弔電もたくさん来ていた。次の世代は皆、今
時のサラリーマンだから、ああ、これで、剣道で身をたて、尊敬
されてきた家系も絶えてしまうのだな、と、寂しく思った。
 祖父も、大伯父さんも、父も、戦争を経て大変な時代を生きた
んだな、と思う。社会の価値観が変わり、それまでの職はなくな
り、どん底から高度経済成長へと向かった時代。そして、そこに
は、私が会ったことのない祖母や、祖父方と祖母方の曾祖父や
曽祖母も確かにいたはずなのだ。遠い親戚といっても、大伯父
さんは、子供時代に、私の実の祖母と一緒に同じ屋根の下で育
った弟で、その青春時代には祖父とも一緒に暮らしたことがある
縁の深い人なのだ。
 そんなことを考えていたら、何だか嬉しいような、ありがたいよ
うな不思議な気持ちになって、「大伯父さん、ありがとう。」と、
自然に思ってしまったのだった。
by akira_dai | 2011-11-03 23:55

AKIRAの日常、考えたこと、など。平凡です。