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忘れられない記憶

 早世した同級生のことは忘れたくても忘れられない
ものだ。その死が早いというだけでなく、一番多感な
ときに同級生を亡くした衝撃は大きい。高1のとき、
初めて小学校時代の同級生が骨肉種で亡くなったと
聞いた時は驚いてしまって悲しいとも思わず、わけ
がわからなかったが、さすがに3人目の同級生が亡
くなった高3のときは、(もう、来年はないといいな)
と、本気で落ち込んだ。その知らせの電話が鳴ったとき、
私はサザンオールスターズの新しいアルバムに入ってい
た「鎌倉物語」を聞いていたので、今もその歌を聞くと、
あのときのショックを思い出して、電話が鳴るのではな
いかとドキドキする。
 そして、先々週、息子が小1から小4まで同じクラ
スだったRちゃんが亡くなった。Rちゃんはお父さん
が沖縄出身で珍しい名字だったし、顔だちもはっきり
した南国系だったので、息子の男友達しか知らない私
でもすぐに覚えることができた。
 お母さんは気さくな人で、ママ友がいない私に
ヒラヒラと手を振りながら近寄ってきては、
「元気?ここ座っていい?」
と一緒に座って他愛ないおしゃべりをして、家が近い
から一緒に帰ってくることもあった。1年のとき、夏
休み前の保護者会で朝顔を持ち帰らなければいけない
ときに、徒歩の私が鉢を抱えて歩いていたら、
「私の自転車に乗せていいよ!」
と声をかけてくれたこともある。ちょっと日本語のイ
ントネーションがおかしかった。先日、通夜のときに
彼女は中国人だということを初めて知った。
 低学年の頃、男子は、やたら乱暴なやつ、やたら泣
くやつ、うろうろ落ち着きのないやつ、と、まるで猿
山のサルみたいだったが、女子はしっかりしている子
が多かった。忘れ物をする子はほとんどいないし、ち
ょっと遅れている男子の面倒を見たり、クラスで問題
が起これば先生に報告したり、好きな子がいると目を
潤ませたり、私顔負けの大人女子がいっぱいいた。
 Rちゃんも背が高くてしっかりしている女子の筆頭
で、賢くて、授業中も良く発言をし、いつもニコニコ
していて、外で会うと私にもしっかり挨拶をしてくれ
た。息子はニコニコされるのが恥ずかしいらしく幼い
ときは、
「気持ち悪いんだよ」
と言うこともあった。
 小4の夏休み明けの保護者会、いつもは明るくて人
あたりの良いRちゃんママが、廊下側の一番後ろの席
に一人で座って、夏休みの様子を全員が順番に発表す
るときに、
「・・・うちは、夏休み中に、ちょっと変化がありま
して・・・・・」
と言って黙ってしまった。その発言に先生も困ってし
まって、
「それは・・・大変ですね。そうですか。」
とだけ答えたのだが、彼女の顔がちょっと泣きはらし
したような感じだったので、
(ママのお父さんかお母さんでも亡くなったのかな)
くらいに思っていた。後で聞いたことだが、数年前
にご主人を亡くしたのだという。きっと、あの夏休
みにご主人が亡くなったのだろう、と、私は今、確
信している。
 Rちゃんは、その後もいつもニコニコしていた。
あまりにもニコニコしているので、息子は不思議に
思って、
「お前、なんで、いつもそんなに笑ってるわけ?」
ときいたことがあるそうだ。彼女はニコニコしながら
「これはね、私のプライドなの。」
と答えたそうだ。既に父親は亡くなっていた。
 そのRちゃんが、昨年の9月、陸上競技会が終わっ
てからパッタリ学校に来なくなった。息子とは違う
クラスだったけれど、不登校の多い3組だったし、
もしやRちゃんも何か問題に巻き込まれたのだろうか
と心配していたら、3組のママたちが
「骨折ですって」
と話していたので、陸上競技会で怪我でもしたのかな、
くらいに考えていた。しかし、2学期が終わって冬休
みが明けても登校してこない。周りは、骨折と言い続
けていたが、骨肉種で亡くなった同級生をもっている
私は、(これは骨肉種ではないか)と疑い始めていた。
骨肉種は、本人にも「骨折」といって病名を隠すこと
がある。
 3月、卒業式の前の日、6年生全員が体育館でリハ
ーサルを終えたときに、Rちゃんが病のために卒業式
に参加できないことが伝えられ、全員で千羽鶴を折る
ことになった。それを息子から聞いたときに、やはり
そうに違いない、と思った。
 そして次の日の卒業式。Rちゃんの名前が呼ばれて
も彼女が壇上に上がることはなかった。が、その後、
3組の教室に車椅子で現れたのだと言う。片足を切断
され、すっぽりと頭を隠す帽子をかぶり、いつものよ
うにニコニコしながら現れたという。参列していた同
級生、その親たちはかなり混乱したらしいが、努力し
て何とか笑顔を保ち、一緒に写真を撮影した。その写
真が卒業アルバムに残っている。本当に、Rちゃんは
いつものようにニコニコしていて、とても難病を抱え
ているとは思えなかった。凄まじいプライドだ。同じ
アルバムの一部に、「過去の自分に伝えたいことは?」
という3組の寄せ書きがあり、Rちゃんは、
「今、自分がこうなっていることを教えてあげたい」
と書いていた。
 中学の入学式で名前を呼ばれたときも、もちろん、
Rちゃんの返事はない。それでも、医学が進歩してい
るのだから、何とか生き残れるのではないかと私は
希望をもっていた。
 だから、10月11日、3連休明けに、息子から、
「Rが金曜日に死んだんだ。」
と聞いたときには心底辛かった。高校のときに同級生
の死を聞いたときの衝撃が蘇った。
息子が
「女子は崩れ落ちる奴がいたし、オレもドキドキし
て何だか胸がつかえる感じがする。」
と言うので、
「それは皆同じだから。今度、お葬式に行くときには
同級生で支え合って、気分が悪くなる人がいたら背中
をさすってあげて、ユータも具合が悪くなったら、友
達に頼っていいんだよ。」
と話した。多感な時代の忘れられない悲しい記憶は、
当人をよく知っている同級生と分かち合うしかないの
だ。
 お通夜の日、最後に、本人と対面する機会があった。
睫毛がくるりと巻いてあって、かわいらしく微笑んで
いたけれど、あのニコニコした笑顔とは違う、静かな
人形のような微笑みだった。きれいだった。遺体の上
に、同級生たちが折った千羽鶴がそえられていた。
悲しかった。そして、今回も絶対に忘れないだろうな、
と思った。生きている人たちが支え合うしかないんだな。

by akira_dai | 2016-10-22 14:14

AKIRAの日常、考えたこと、など。平凡です。